なかの幼稚園の「手遊び」は60個以上もあるの!?

幼稚園など子どもの関係者ではないと、「手遊び」という言葉はなんだかよくわからないかもしれません。子どもと一緒に、手ぶりや身振りも一緒に楽しむ短い歌です。

「いっぽんばし、こーちょこちょ」「これくらいの、おべんとばこに、おにぎりおにぎり、ちょっとつめて」

何ていうのが有名でしょう。昔から伝わる「わらべうた」というものから、最近作られた創作のものまで、たくさんあります。

先日、先生達といくつくらいあるか数えてみると、60はありました。たぶん、その時思い出せなかったものもあるとおもうので、たくさんありますね。

 

 

手遊びは、どんな風に遊ぶのか?

「まずは、おやこあそびとして」

だいたい、二人一組で遊ぶ時は、やってあげる側とやってもら側があるので、親がこどもにやってあげてあそぶものです。

「いっぽんばし、こちょこちょ」がそうですね。子どもが大きくなると、子ども同士でもできます。

また、やってあげるというのでなく一対一で楽しむものもあります。「おてらのおしょうさんが」などです。

2人組で遊ぶものは、触れ合うものも多いです。触れ合うことで、楽しかったり安定したりする効果があります。

 

「先生が子どもにやってあげるものとして」

やっている物を見て楽しむ、というものです。「これくらいの、おべんとばこに」がそうです。見て楽しむ、というものは、そのうち自分も一緒にやって楽しむ、という形になる事が多いです。

「おべんとばこ」などは、普通のお弁当箱から、小さいアリさんサイズや、大きいゾウさんサイズなど、いろいろにバリエーションを楽しむことがありますが、これは見ている子どもと一緒にやって楽しむうちに広がっていきます。

「ぐーちょきぱー」という、ジャンケンのグー、チョキ、パーの形を使って色々なものに見立てて遊ぶものなどは、無限に広がれます。

先生が子どもにやってあげる時は、集まってきた時などに、楽しいと思えて先生の方に集中してくれる、という効果があるので、お話前や絵本の前などに使う事も多いです。

「はじまるよ」という手遊びは、そのままお話につながれるので、楽しくお集まりに促せるという、先生にとってとても助かるてあそびです。

 

園長先生
この楽しくお集まりに促せる、というのは結構大きいポイントです。

保育をしているときに、何かを話す、何かを始める時はザワザワしている子どもたちに静かに集中してもらえるように工夫します。

大きい組では「先生がお話しするよ、きいてね」とズバリ言葉で伝えて静かにすることもありますが、3歳などでは、こう言ってもあまり意味がないことが多いです。

何かが始まるというのが伝わっても、静かに待つ、というのがまだ体験にない年齢だと、ことばで「しずかにする」といってもしゃべったり動いたりします。

そういう時には、みんなてあそびをして「結果同じことにみんなで集中することで静かに始まる雰囲気を作る」のです。

この年齢の子どもは、面白ければそちらを向き、自分にとってつまらないとそっぽを向きます。なので「静かにして!」と大人が躍起になって子どもを静かにさせるというのは、ある意味「その場がつまらない」ということになるので、楽しく集中できる工夫をしています。

 

「子どもが子どもにやる」

これは、他の園でもあるんでしょうか?なかの幼稚園では「子どもが子どもに向かっててあそびをする」という事があります。

おおきい組の子が、お店や劇が始まる前に、小さい子を待たせるときにやって待っている間を楽しませる、という時があります。

また、担任が何かで集会で話ができないとき(着替えを手伝っていたり、ケンカの話を丁寧に聞いたりする時です)「子ども先生~、てあそびしておいて~」と頼むと、やりたい子がみんなの前に出て手遊びをしてくれるんです。なかの幼稚園では、日常的にあります。

 

 

園長先生のつぶやき

何人かが、はりきってみんなの前で先生の代わりに手遊びをする、周りもそれに合わせて手遊びをする。良いな光景だなぁ、と思っています。

先生が来るのをただ待つ、というのではなく自分たちでその状況を楽しむ。前に出た子たちで、何をするか、相談したり協調したりしながら他の子たちをひっぱる。周りの子も、その子たちに協力する。

「自分達の手で自分達の生活を進める」というのがなかの幼稚園の保育の狙いにありますが、こんなささやかな場面も、その自主性に役立っていると思います。

ここで「人前に立ちたくない子はどうするの?」という疑問が起きるかもしれませんが、それなら前に立たなくていいんです。

やりたい子がみんなの前に立つ、それも保障されていますが、やりたくない子は前に出なくていい、それもできます。

でも、不思議といつの間にかどの子も前に立つようになります。よく知った仲間と一緒になにかをする、その時に自分も前で楽しませる側にいる、というのは、なにかほとんどの人に備わっている「楽しい」につながる要素みたいです。

 

 

 

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