ことの始まりは、あるお母さんに「どうしてなかの幼稚園をえらんでくれたんですか?」と聞いた時の衝撃的な答えがあります。
「友達から、なかのにいれると、座っていられない子になるからやめなよ。って言われたんです。でも、自分で見に来たら、なかのがいいな、と思ったんです!」
という答えでした。
それでもご自身で見て決めた、というこの方に深く深く感謝した次第です!
先生も衝撃だった「なかのに入ると、座っていられない子になるよ」のウワサの真相について調べてみたいと思います!
ウワサの真相はどこにあるのか?
(写真:思いっきり遊びます)
「火のない所に煙は立たぬ」といいますが、この噂はどこから来たのでしょう?ちょっと考えてみました。
卒園生の様子から
小学校は、授業の間座って居ることを求められます。もしかしたら、卒園生が座って居られないという事なのかな?という事で、小学生になった子達の保護者に聞いてみました。
実は以前、小学校の先生に、「卒園生がお世話になっています」という話題になったときになかのの卒園生で何か困ることや幼稚園にいる間に改善しておくようなことがありますか?と聞いたことがあります。「特にないですよ。」という答えでした。
「僕の知っているなかのの子は、高学年で後伸びする印象です!」
ということでした。
在園の子の様子から
もしかしたら、「遊ぶことを大事にしています!」という理念の勘違いでしょうか。
時々、「遊ぶのを大事にしています、というのですが、遊んでばかりですか?」と聞かれることがあります。いえいえ。クラスのみんなで集まって、何かを作ったり歌をうたったり、話し合ったりする時間もちゃんとあります。
もしかしたら、お集まりの時に、なかなか集まらない子がいるからでしょうか。確かに、お集まりにパッと集まれない子に「来なさい!」と強制することはあまりありません。
集まれるタイミングを待って促したりしていくので、気ままに過ごしているかのようなすがたがあります。これは、ここを取り上げてフラフラしている、と「座っていられない」というのであれば、それはその通りです。
じゃあ、どうして座っていられない子なのか?
(未就園児クラス、広場。実は、ここにまで来れない子もいます)
お集まりの時に、「あつまるよ」という時に、すぐ来ない子がいる。確かに、周りが座っているときに座っていない子がいます。
どうして、集まりに来れない子を「来なさい!」と呼ばないのか?という疑問がある方もいますよね。
子どもは、一番最初は「おあつまり」といっても何の事かわからないのが普通です。「おいで」と呼ばれて、集まって絵本を読んだり手遊びなどで楽しんだりしていくうちに、「あつまって、みんなで何かをするって楽しい」という体験が重なるうちに「おあつまりだよ」と呼ばれるだけで集まれるようになります。
大半の子が、集まれるようになった頃にも、あつまりにパッと来ない子がいます。そういう子達は、大抵「なにかしら理由」があります。
遊びにキリが付かなかったり、大勢のあつまる場面が苦手だったり。また、取り組みが苦手、例えば製作が得意でない子は、制作活動が続くと集まることに対して苦手意識が大きくなることもあります。
そんな時は、その理由が解決すると集まれるようになります。遊びのキリが付いたところでもう一度呼んだり、大勢が嫌な子には集まる場所を工夫したり、製作が嫌で集まらないという子には「先生がてつだうよ」という事で安心してもらう、などで解決していけます。
本当にそれで座れるようになるの?
それで座れるようになるの?と思う方は、前述のA君B君の保護者の話に戻ってもらえればよいのですが、これで座れるようになります。
年少組や年中組の一学期は、伝えても座れない子がいるのですが、心が育ってくると、きちんと座れるようになります。おあつまり、が楽しいからだけでなくて、今は集まるべき時、という「こうするべき」が考えられるようになるからです。4歳ころから育つ力と言われています。
いやいや、しっかり座らせるべきでは?
(年長、ボール教室の様子)
集まらない子に対して「じゃあ、それが終わったら来てね、先に集まっているよ」なんて声かけをするというと「集まる時に来ない子には、叱ればいいんじゃないですか?しっかり座っていなさいって。」という意見もありそうですね。本当にそうでしょうか?
時々、小学校の保護者の意見で「あの先生は、こわくないから子どもになめられて、学級崩壊になっているんだ」という事を言う人がいるのですが、、、
「こうするべき」ということはルールと言えると思うのですが、ルールを守る際に「怖い人が言うからルールを守る」というのが前提ではないと思います。
もちろん、叱ることが必要な場面もあるでしょうが、一般的なルールは穏やかに伝えられても、守るべきものです。座っているべきかどうかは、叱られるから座っているというのではなくて自分で考えて実行するものだと思います。
自分で考えることがとっても大事!
(相談中。子ども達だけで考えてます)
「なかのにいると、座ってられない子になる」という話に衝撃を受けたのは、その言葉に「言う事を聞けない子」というイメージが含まれているからです。
なかのの子達には、自分で考えてやるべきことを実行できるようになって欲しいと願っています。そしてほとんどの子が守れます。私から言わせてもらえれば、こんなにきちんと考えられる子達が、そんな風にイメージを持たれるのはなぜか?とびっくりしたのです。
ただ、年少や年中の姿は、たしかに一部では、座っていられない子、という様子があります。そこを取り上げられたらその通りですが、ぜひ、その後の自分で考える力まで含めて評価してもらいたいと思います。
VUCAの時代?
(避難訓練中。小さい組も真剣でした)
今、世の中ではVUCAの時代と言われます。
Volatility:変動性
Uncertainty:不確実性
Complexity:複雑性
Ambiguity:曖昧性
この頭文字をとってVUCAと呼ばれています。
不確実であいまいな時代、答えのない問いに自分なりに考えて対応していくことが必要な時代。
「このような激動の時代において最優先されるべき個人の資質は、自分で考え、判断し、行動できることではないでしょうか。私はこれを自律と呼んでいます。」
(参照:「自律する子の育て方」工藤勇一)
というのは、元千代田区立麹町中学校校長・現創英中高学校長の工藤勇一先生です。これからの時代が求める力がこの自律の力という事です。
園長先生のつぶやき
座っているかどうか、からの切り口ではありますが、なかのの子達は必要と思えば座っていられます。自分で考えてやるべきと思えばやります。
もし「お集まりという時にそんなに好きにさせておいて大丈夫なんですか?」という問いがあるとすれば、工藤勇一先生が言っていた「制服も校則もほとんどなくなった麹町中学の卒業生は、自分で選んだ道できちんとルールに沿ってやっていくことができるので心配ありません」と答えていらっしゃったことがそのまま同じ答えです。心配ありません。
最近の学校公開は、直接の参観ではなくて、リモートでの画面での中継になっている学校が多いと思うのですが、先日も保護者が「この間、画面で見ていたけれど、卒園生はみんな座って頑張ってましたよ。立ち歩いていたのは違う子(卒園生ではない子)でした。」と教えてくれました。
この卒園生の子のクラス、なかの幼稚園出身の子が何人もいます。中には、前述の“年中組の頃「おあつまりだよ」にぱっと集まらない”だった子もいます。それでも、一年生になるころにはしっかりできる。
あの頃に、「自分でやると決めたらやれる力」を貯めていたんですね。「なかのにいれば、座っていられる子になる!」だと思います。