なかの幼稚園のプレ「親子の広場」では、お母さん同士、保護者の方同士が話し合える場も大事、と思っています。
3学期になり、なかなか密には接することの難しかった今年度も、少しずつ顔見知りが増えてきたようです。
そんな中、先日、「こんなことどうしてますか?聞きたいことありますか?」と投げかけてみました。
こんな質問をしてみました。
(写真:一学期、外開催から始まった今年度でした)
ご近所から予防接種のうけやすい病院、家族でお世話になっている病院などなど、いろんなお医者さんの名前があがりました。
長袖、半そで、キャミソール型などそれぞれの理由と共に教えてもらいました。
兄弟でこの状況から変わったときのきっかけなどを何人かに話してもらいました。
こんな質問をしていると、
「ご近所の下の子が、うちの子が使っているおもちゃを欲しがって、、、」
という悩みには「うちもあった!」の声があちこちから、、、その後、自由遊びの時間になったとき、さっきの悩みの方に、何人かが「気になる」とお話を聞きに行ってくださいました。
どうしてか聞くと、それぞれで「うちも近所の子とおもちゃの取り合いになる。」など近い悩みを現在持っていたり、前に直面したりした方たちでした。
おもちゃを貸してあげられない!?譲ってあげるべき?
Aさんの悩み、よくあるような場面ですよね。お兄ちゃんだから貸してあげなさい、とか、家で遊べるんだから今はお友達に貸してあげなさい、とか。そういう言葉がとびかうような場面。でも、ここ、大事なことがあるんです。それは、子どもが「これで遊びたいな」と思っているなら、
きちんと「遊んでいる」と主張してよい!
という事なんです。なんでも「どうぞ」していれば良いわけではないんです!
「なんで?譲ってあげられるように、しつけないといけないでしょ?」
と、思うかもしれません。確かに、友達に譲ってあげられることができるのは、良いことであることは多いです。(微妙な言い方ですよね、それだけの意味があるのです!)
ただ、譲ってあげるという時に大事なのは、相手のことを思って譲ってあげる、ことなので「親に言われて譲るものではない」のです。
そもそも「譲ってあげる」というのは、自分のことがわかる「自我」ができたうえで出来ることです。自我というのは「主張する自分」という事で、「自分はこんなことがしたいんだ」と気づき、それを表明することです。
2歳3歳の広場世代のみんなで言うなら、「この車で遊びたい」「滑り台やりたい」という気持ちを持って、それで遊ぶという事です。
その「自我」ができた後に、「こうすべきと思う事をできる自分・社会的自己=第二の自我」ができてくるのが本来です。4歳ころからできてくるそうです。
つまり、今「自分はこんなことがしたい」という自我を確立している広場世代の子は、
「自分の主張を充分にすることが大事!」
(写真:おもちゃの数はたくさんあります。主張したらそれを保障できるように用意しています。)
自分の使いたい車があるのに「貸してあげなさい、良い子ね」で車を貸しているのは自分の気持ちがわからなくなってしまうということです。
もちろん、それぞれが「こうしたい」と思っているとトラブルにはなるので、そこに大人が関わって楽しく遊べるようにするのは大事な工夫で、ひっかきあって強いほうが勝つ、のを良しとするわけでは全くありません。
ですが、まずは「使いたい!」「いや、私が使いたい!」と、主張することが大事なんです。そのあとで、きちんと「あの子が先に使っていたから、待っていようね」「あの子のおもちゃだから、貸して、って聞いてみよう」という、そういう場合のルールを整理して伝えることが必要なんです。
そういう2歳の「自我を確立するころにやるべきことがある」という考えから、「大人が先に、貸しなさい!って言わないようにしましょう」となるのです!
なかの幼稚園では、わがままを野放しに!?
(写真:ブランコも10個。それでも、順番こになることも)
こんな話をしていると、
と、自分の子の使っているおもちゃを渡さなくちゃいけない、というだけではないという事にほっとしたようでした。一方でこんな話も、、、
なんて話をしていると、
野放しと、主張を受けるのとは違うのです。そう思っている方には、なかのの子の年長の子達を見てもらいたい、と思いました。
「自分をきちんと主張することは、相手を尊重することにつながる」
という姿がたくさんあります!(ただ、2歳の子がすぐそこまでできることはないのですが)
(写真:しょんぼりしている仲間を気に掛ける年長組)
自分の主張をしていると、相手の主張とぶつかります。もちろんですよね。
でもそこで、きちんと自分の主張を受けてもらえていると、少しすると満足して相手に譲れることができるようになるのです。ただ、自分の主張をないがしろにされていると不安定な気持ちになるので、譲るという事がなかなかできなくなってしまいます。自分の主張をちゃんと受けてもらっている子は、相手の主張も受けてあげられるのです。
【大人に「貸してあげなさい、良い子ね」と言われて貸してあげる事】
【相手が使いたそうだから貸してあげる事、又は自分が満足したから次の人に貸してあげる事】
園長先生のつぶやき
ちょっと違う角度から、自分を主張する・相手を尊重するという事を考えてみます。
以前、学校の保護者の話として「あの先生は怖くないから子どもになめられてる。だから、クラスが荒れるんだ!」という事が伝わってきたことがあります。
でも、この話は疑問に思う点があります。「あの先生は怖いから、ルールを守る」という考え方では、「怖い人がいない時には、ルールは守らなくて良い」という事になってしまいます。
ルールとは「そこにいるみんなが気分良く過ごすために守るべきもの」であって、「怖い人がいるから守るもの」でも「怖い人がいないなら守らないで良い物」でもないと思うのです。さらに言えば、先生(一人の人)は怖いから話を聞く存在ではなくて、一人の人はリスペクトすべきだから話を聞くのだと思うのです。
(写真:年中組。先生が怖くなくても、話は聞きますよ、、、ん?話してる園長先生、こわい?)
「あの先生は怖くないからうちの子は話を聞かない。先生が怖く叱れれば話を聞く」というのは、「うちの子は自分では自分を律することができない」と言っているようなものです。
自分の子には、怖い人がいてもいなくても、自分の主張ができる、相手のことも尊重できるようになって欲しい、とは親であれば誰でも願う事かと思います。それには、自分の主張をきちんと受けてもらう事が基礎になります。
きちんと自分の主張を受けてもらい、相手を尊重することができるようになる。そのためには、面倒でも2歳3歳の頃にトラブルをかいくぐりながらやりたいことを主張する機会を保障してあげることなんですね。
井戸端会議に参加していたお母さんの一人、実は広場の子のお兄ちゃんが「自分が!」が強くてトラブルになる事が多々あったのですが、先日友達のケンカに「がまんすれば?」と仲裁に入ったそうです。「俺はがまんできるよ」って言っているみたいで、かっこいいですね。