世の中、日々新しいことが増えていくのですが、保育士、幼稚園の先生もいろいろな勉強会を通して学んでいます。
今回は、私(園長)が2023年4月に参加した勉強会をきっかけに学んだことから、「これは子どもに関わる全ての人が知っていないと!」と思ったことを書きます。
受験勉強なんて、なかの幼稚園がいつもいっている「幼稚園は学校の先取りじゃない」「勉強は学校に行ってから」と真逆なようですが、ここと、なかのの生活が直結する話です。
「国語力」
まず、勉強会で学んだことですが、それは 石井光太さんの講演会で「ルポ 誰が国語力を殺すのか」(文藝春秋 刊)を基にした話でした。
詳しくは、本を手に取っていただけるのが一番です。ここに引用したいこともたくさんなのですが、長くなってしまうので、今回はなかの幼稚園の生活と結びついている所を中心に触れさせていただきます。
- 情緒力(感じる力)
- 「想像力」(他者に対してむける力)
- 論理的思考力(因果関係として物事を考える力)
この3つの力を合わせて、複雑に表現できる、ということでした。複雑に表現できる、というのは、何かを感じて嬉しい・腹が立つ・悲しいなどがあった時に、それを表現するという場面で、国語力が無いと「やばい」「ウザイ」「むかつく」で終わってしまうということ。
それが自分の気持ちや状況を理解して表現できれば「すごくうれしくてなんか心があったかくなった~」「そんなことするならもういやだ!こわされたらくやしい!」「そんな風に思うんだ、でも、この子はきっとこう思ったんだよ」となる、ということです。(ちなみに、ここの後半の例文は、最近あった幼稚園での出来事で使われていた言葉です)
それがどうしたの?という所ですが、この国語力がたりなくてすべての事を「やばい」「ウザイ」で済ましてしまうと、困ったことがあった時に、深く考えられずに解決できないという事につながってしまうのです。
私は、いままでに「考える時、人間は言葉を使って考える。だから、母語(その人の一番ベースになる言葉。考える時に使う言葉)が確立していないと、考えることが出来ない」という事をきいたことがありましたが、今回の「国語力」もこれと同じ使い方だと思います。だから、しっかり国語力を付けておくことが土台になります。
「じゃあ、どんなことで身に付くのか?」
ということですが「体験や経験から」だそうです。「親子の会話や、他者との会話」「絵本の読み聞かせ」「自由に遊ぶ」などがそれです。
国語力、という力は画面などからの知識では育めない力だそうです。『なんだ、普通に、子どもと一緒に楽しく過ごせればそれでいいんだ!』と思えた方。私もその通りだとおもいます!
幼児期はどう過ごすべきなのか?
では、身に付けなかったら?たくさんの、深刻な事例は本に譲ります。ここでは、幼児期の保護者に伝えたいところをお伝えします。
この「国語力」という基礎の力を身に付けていないと、高度な理解力を求められる、高校以降の学力が伸びなくなる、ということでした。つまり、大学受験で英語を勉強しているときに、国語力が無いと読解力が足りなくなるため、英語を勉強しても点数が伸びなくなる、というのです。
でも、確かに、保護者で英語圏に引っ越した方たちが口をそろえて「英語はいつでもいい。最初にしっかり日本語ですよ」と言っていますから、そうなんでしょう。英語だけでなく、どんな教科でも同じことですよね。高度な勉強が必要とする理解力・国語力は幼児期に作られる!
最近、本当に不安なんですよね。幼児期の過ごし方の二極化が目立っていて。一方で、保護者が仕事をするため、という事で、スペースが足りないような場所での長時間の預かり保育が増えています。
もう一方では、幼児教育という名で勉強の先取りや知識や技術を植え込むような時間の過ごし方がたくさんある幼稚園も人気を集めています。
でも、はっきりいって、どちらの過ごし方もこの石井さんの本や講演で言われている様な「自分の体験や経験から言葉を育み、深く思考をする」とはかけ離れていると思います。
その二極のどちらでもない(つまりは残念ながらとっても少数派)の、たっぷり遊んで子ども同士や大人と関わりながらやりたいことをやる!という過ごし方もあるんです。
例えば、なかの幼稚園では、ブログを少し読んでいただければ、子どもが体験することの事柄の多様さ、その中で考えることややりとりすることを大切にしている大人の姿、が伝わるのではないでしょうか。
最新の記事から、ちょっと解説させてもらいます!
ここでは、自分の気持ちを言葉にしています。この時、自分の気持ちを言うのと、他の子が違う事を言うのも聞いています。色んな子が様々な言い方をするのを聞いて言い方を覚えたり、他の子が違う感情を持つことを知ったりできる場面ですね。
こんな様子もありますね。自分なりに、考えて、こうどうしてみた!の様子。そして、それを認めてくれる先生の視線も感じます。
そして、このやりとりを、先生が共感的に支えていること。色々な意見を出せることを評価して、肯定的に受け止めてくれる大人がそばにいる事。自分の園ですが、良い先生達だなぁと思います。
そして、年長として成長していけることを願って関わる。こういう中でのやりとりを通して、言葉で考える、表現する、相手の事を知る、また考える、と続いていくのでしょう。
また、これはテキストを使った勉強ではなくて、出来事を通して(体験を通して)の中でだからこんなに子どもから自分事として言葉が出てくるのだと思います。
正解を先生が教えるのではなくて「やったことを振り返って自分で言葉にしてみる」ということ。石井さんのお話の後だと、これが大事なんだ!と痛感します。
園長先生のつぶやき
最新の知見が、体験を裏打ちしてくれること、ってたまにあって、そんな時は自分の漠然とした実感をより確かなものにしてくれて嬉しくなるのですが、今回のこの「自分の体験、人とのやり取り、自由に遊ぶこと」が力になるんだ、と教えてくれて本当にうれしかったです。
やっぱりこれが大事。いままで「なかのの卒園生は小学校の一年生より、高学年で活躍する」という話は小学校の先生によく聞いていたんですが、その先のより勉強として求められる時にも発揮できる力だとはっきりしました。
まだまだ先ではあるけれど、大学受験するときに必要な学力は、日々の中で言葉を使ってやりとりすることで育まれる。それなら、なかの幼稚園はぴったり!ですね。